他人の不幸話をどうしても読みたい人向け②小学校時代

それからほどなくして父再婚。
私が何歳だったかは覚えていない。
小学校に上がる前だった。

最初は母親が出来た嬉しさもあり、とても楽しく過ごしていた。
ただ、それも1年ぐらいしか続かなかった。

原因は父にあったので、今となってはあまり今母を責められない。

まず、再婚して数日後か数週間後かに、よく家に来ていた「お姉さん」が家に来た。
いつもと雰囲気が違った。怒っているようだった。
「お父さんいる?」
と聞かれて父を呼びに行ったが、その後、その女性に
「どこかに行ってなさい」と言われる。
いつもは私と遊んでくれる人だったので、なんでかなと思ったけど、私は外に遊びに行った。その後どうなったかは知らない。

大人になってみるとどういうことなのか分かったけど、結婚を匂わせてその人を弄んだってことですよね・・・実父ながら最低過ぎる・・・せめて再婚前に別れておけよ・・・。orz

私の中では、父を思い出すと会いたくなる反面、憎しみも持っている。


それから、父と、おそらく父方親戚が私の実母の死因を隠して今母と父を引き合わせた。
事故や病気であれば隠す必要もなかっただろうけど、私は中学生時(2年か3年)に家出をするまで、母の死因は心臓病だと聞かされていた。
実際は他殺だった。(犯人は服役、出所後に病死)
それを知ってから今母の私たち子供に対する態度が豹変した。
毎日いじめられ、真冬でも冷水で毎朝雑巾がけをさせられ、手は常にアカギレが出来ていた。今思うと今母が継子をいじめたくなる気持ちも分かるけど、実母の死因を知らなかった思春期には反抗期まっしぐらになり、毎日のように家の中で怒鳴りあいをしていた。
「くそばばあ」「死ね」「更年期かよ」なんていう言葉は当たり前に使っていた・・・。
 たぶん、今母実家も知らされていなかったと思う。知ってたら嫁に出さないでしょ。


ただ、私が通っていた小学校では教師達や同級生は知っていたらしい。
小学校3-4年の担任は、私を徹底的に無視した。
たしか河野典子という教師だった。
学校でもこの教師に撲られたり色々あったけど、街中で娘さんを連れて歩いている時に挨拶をしたら無視され、その時にはっきり「無視されている」と気づいた。 娘さんが動揺して、私に申し訳なさそうな顔をしていたのが印象的だった。
この教師の気持ちは、申し訳ないけどいまだに理解出来ない。

学校でのいじめも軽くあった。
私は鈍感なので当時はあんまり気にしていなかったけど。
実母の度重なる入院と、父もまた入院歴があったこと、転職、葬儀等で金銭的に苦しく、私が小学校低学年頃まで生活保護を受けていたらしい。
なぜか同級生はそれを知っていた。
たぶん、給食費の支払いについてのお知らせの紙が、私だけ違ったからだと思う。
無神経な昭和時代。

そのせいで「貧乏」と散々言われ、小銭をポケットから落とすと、「お前が金を持っているはずがない」と、男子に取り上げられた。まあ、確かに服装も貧乏臭かったけど。私に対して愛情ゼロの人が買ってきていた服なので、ローテーションするほど持っていなくても仕方ない。

それから、「施しごっこ」と言って、女子が何かのおまけなどを私に施していた。それについては「何ナノかな?」と思ってあまり気にしていなかった。大人になってふと思い出し、「バカにされてたのねー」と気づいた。
駅前商店街の子供達が通う小学校だったので、そこそこお金を持っている家の子が多かったらしい。

「誕生日会」とやらに行って、紐でグルグル巻きにされて取り囲まれている写真も残ってるけど、主犯格は金子とかいう女子だったな。悪気なさそうな振りして一番こいつが性悪だった。

いじめと思われる行為に関して、当時私に謝ってくれたのは
まともな商家の息子さん、ただ一人だった。


小学校卒業までは、本当に周りにいた人間が酷い人ばかりだった。
くずって言葉がぴったりだった。
もちろん友達もいたけど、彼女たちはとってもまともな人たちです。

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